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・亡くなった父は自分の命日が近づくと、私の夢に出てくる。
それは私が命日のことをついつい忘れてしまっているから。
お父さん、毎度毎度申し訳ない。
父は1989年の3月に肺がんで亡くなっていて、今年でもう34年も経ってしまった。
時の経つのは案外あっという間だな。
残された私達は父が営んでいた小さな鉄工所を手放し、専業主婦だった母に収入がない中、当日大学生だった私は「お気楽女子大生」から何もかもががらりと変わってしまったこの状況に、この先もしかしてお先真っ暗?と当然ながら大きな不安を常に抱える生活をしていたが、
それでも毎日毎日朝が来て、生活して、時が過ぎていくにつれ、まあ、悲しさや悔しさも徐々に和らいで、笑って父の話をし、時に悪口なんかも言って、気がつくと父の命日を時々忘れてしまっているという感じ。
成長したな(笑)
私を間違いなくあの世から見ているであろう父は、命日が近くなる、またはその日になると夢に現れるのよ。
別に夢で怒られるとか、思い出せ!とか言われる訳ではないが、とにかく私の夢の中にいるわけである。
かくしてビックリした私は目を覚まし、
「なんだなんだなんでだ?」
あー、今日はお父さんの命日だったんだわ。まずい、まずい。と実家の母に電話して、お線香を私の分もあげてとお願いする、という事を何度もやってしまっている。
びっくりするし何より父に申し訳ないので、スケジュール帳に「命日」と書くようにしたところ、忘れる頻度は少なくなり、父の登場も減ったが、
それでもうっかりスッカリ忘れてしまう年は、ちゃあんと夢に登場し、リマインドしてくるんだよね。
冗談ではなく本当なのよ。
あの世に行っても心配をおかけしてます。。。
・父が亡くなった時、私は21歳。父の生命保険はいつのまにか鳥小屋になっていて、路頭に迷う寸前だった。
父が他界したのは私が東京で一人暮らしをしていてちょうど大学3年生になる時で、専業主婦で収入0円の母と、専門学校に進学が決まっていた弟と、3人でこれからどうしよう、となった。
小さな鉄工所を営んでいた父の会社は、親会社のような人から
「会社を残すなら私は大学を退学して、弟は専門学校に進学するのをやめて、母もその会社で働きなさい」
と言われ、母は会社を手放し、私達に自由に生きる道を作ってくれたが、何せ専業主婦。収入なし。
さて、私達どーやって学業続けるんや。
笑っちゃうのが、父が生前掛けていた生命保険。
父は趣味の烏骨鶏を育てる小屋を作るため、亡くなる前の年に解約して解約金を烏骨鶏小屋に当ててしまっていた。
さて、一銭もおりてこない。残ったのは立派な烏骨鶏小屋と烏骨鶏たち。
さすがに少し恨んだねー。
・生きられるものね~。その時はもうアカン、と本気で思ったけど。
大学を中退すべき、と忠告する人もいたが、私は奨学金と、大学に学費減額を申請し、それが通り(母の所得証明書が0円なのでさすがにね)、家庭教師と銀行のアルバイトをし、根性で家賃と生活費と学費をまかなって卒業した。
弟は新聞奨学生になり、住み込みで朝晩の食事は賄い付き、学費は新聞社が全額支給してくれ、お給料もあり、キツかっただろうけど新聞配達をしながら専門学校を卒業した。
お先真っ暗だと父が亡くなったときは本当に思ったけれど、それでも毎日を過ごし、なんとか今日まで生きている。
明けない夜はない。これホント。
生きられるのねー。人間って。なんとか。
今年はちゃんと命日を前日から自分にリマインドしていたからばっちりだったわ。
夢にも出てこなかったけど、出てほしかったと少しは思うけど(笑)