多様性を認める社会への進化は加速しているか。私が新聞の片隅に小さな「東京レインボーパレード」の記事を見つけてから7年。

・5月31日の日本経済新聞朝刊は多様性に関する記事が多かった。

29面『大学病院、性の多様性配慮』

順天堂大学では、従来の男女別では対応できない例が多くなり、医師や職員、学生の戸惑いも増す中、制度の充実と意識改革で患者が安心感できる環境作りを目指す取り組みをしている。患者やパートナーへの対応だけでなく、職員や学生への啓発も進める。という記事。
性別で色が違った入院者の病衣をベージュに統一したり、患者に渡すIDカードの性別表記をなくした。また、関連する授業を必修化、学内定期検診に男女別のない日を設けること等、学生の啓発や学内の多様性配慮にも力を入れているということだ。

33面『「女性トイレ減」誤情報を否定 埼玉県の迅速対応に評価』

性の多様性に配慮した公共施設や行政手続きの整備を進める埼玉県が3月に策定した「合理的な配慮に関する指針」の中の1つ
可能な限り性別に関わらず利用できるエリアを設けていく」が、
女性用のトイレを減らし、性別に関わらず利用できるトイレの設置を義務づける」という誤情報として拡散した。

デマが広がれば当事者を孤立させかねないことから、情報が拡散したことがわかってから早い段階で知事による記者会見及びホームページで誤情報を否定したという記事。

39面『同性婚認めぬ規定「違憲」』

名古屋地裁が同性婚を認めない民法などの規定は「違憲」と判断した記事。
判決理由を
「理解が進み、承認しようとする傾向が加速している」
「男女を中核とした伝統的な家族観は唯一絶対のものではなくなった」
「不利益の規模も期間も相当なもので、保護がない状況は深刻だ」
等とした。

出典:日本経済新聞. 2023-5-31 ,朝刊, p.29,33,39

・「司法、自治体、教育機関」が多様性を尊重する見解や施策を積極的に打ち出すようになってきたことが紙面からわかる。

私が新聞の片隅にほんのほんの小さく「東京レインボーパレード」(セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)への理解と多様性を祝福するイベント)の記事を見つけてから7年。
今回これらの記事はどれもほぼ紙面の1ページを使用している。また、司法、自治体、教育機関がいずれも多様性を尊重する見解や施策を相次いで打ち出している。
まさに名古屋地裁の判決理由である「理解が進み、承認しようとする傾向が加速している」ということなのだろう。

しかし、これらは当事者達の粘り強い活動や努力がようやく社会を動かしつつある結果であり、まだその過程であるに過ぎない。7年もかかったというべきか、7年でここまできたと言えるのか。
また当事者達だけにその活動をさせたままでよいのか。当事者だけの問題か。
理解と受け入れ、そして意識する必要がない毎日のために、私を含め当事者以外がするべきことはまだまだあるよな。

ところで。娘とパートナーちゃん(娘の同性パートナー)の毎日

先日、娘とパートナーちゃん(娘の同性パートナー)が暮らす住まいを初めて訪問した。二人で暮らし始めて1年が経つ。
お互いの趣味やこだわりを尊重した素敵なお部屋。フォトウェディングで取ったウエディングドレスの素敵な写真も飾られ、楽しく丁寧に暮らしている雰囲気が伝わってきた。

二人が暮らす部屋はパートナーちゃんの実家の近く。パートナーちゃんのご家族は暖かく娘を受け入れてくださっていて、キッチンには「一緒に暮らすお祝いに」と、パートナーちゃんの兄弟一同から贈られた「食器洗い乾燥機」があった。
当たり前の祝福の気持ちがうれしい。
ご両親が作っているお野菜やお米も時々いただくそうだ。

世間の理解や動向については、心がザワつくこともあるだろうけど、それはそれとして、二人は二人での生活を「当たり前に淡々と」過ごしている。

それにしても、私は彼女達のことを書く時、前置きとして「同性婚」とか「同性パートナー」と説明してから書いている。発信する側として、「正確な情報を」とか、彼女たちの「自然体な暮らし」が「当たり前」のこと、と受け止めてくれる人が増えるといいな、なんて思って書いているのだが、どうだろうか。
「当り前」って言いながら前置きを書いたらやっぱりまだ「当たり前」になっていないよなあ、自分。なんてグルグルしている。

余談。「こっちはちょっと」と、出入りするときもなんだか見えないようにちょっとしか扉を開けなかった「開かずの部屋」があって、そこがかわいらしかったわね。普段は二人共仕事で忙しいようだし、今回私が訪問するにあたって、リビングの方だけでもと、おそらくいろいろと頑張ったのだろう(笑)。
詮索はいたしませんわ。

おじゃましました〜。