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私の気持ちが文章になっているありがたい本
読書していて、そうそう、そうなのよ。私も経験してるよ。という言葉を本の中に見つけることがある。
その度に、さすが作家。私がぼんやりと思い、明確な言葉を作り出せず形にならない状態で頭の中で反復していたことが文章になっている。と感激する。
そして自分は言葉にできないくせに、
「私って実はベストセラー作家並のマインドを持っているのだわ」と調子に乗ることも忘れない。
しかし、これらの文章は、済んだ後ならそうも思えるけど、渦中で目にしたら
『うるさい!そんな簡単に物事はうまくいかないんだよ』と
大いにキレたりキレそうになるものでもある。
『困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。三時間後の君、涙がとまっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩き出している』
原田マハ「本日は、お日柄もよく」徳間書店,2016,p275
『人が生きる上で本当に取り返しがつかないことは、実のところ、そう多くはないかもしれない』
髙田郁「あい 永遠に在り」角川春樹事務所,2015,p170
いつありがたいか
何かが起きた時に、最初にこの境地になれればもっと落ち着いていられるのに、わかっていても毎回奈落の底を繰り返しちゃうんだけどね。
こういう心境に最初からなるにはまだ遠く及ばないのだが。
これまでちょくちょくあったんだけど、大きなものと言えば、
自分が大学2年の時に父親が亡くなった事、子供が病気で重症になりかけた時、夫が相談なく仕事を辞めてきた時(数回)、さらに夫がコロナ失業した時(これは最近)。
大学は中退か?子供たちを無事に育てられるのか、明日から生活していけるのか、来週ご飯は食べられるのか、お金はあるのか、来月この家に住んでいられるのか。
私を慰め励まそうと「なんとかなるよ。大丈夫」と周りは言ってくれる。
大変な人を前にして「何とか励ましたい」と思うのは当然だ。
しかし未熟な私は「ありがとう。がんばるよ」なんて言いながら、心の中は烈火の如く
「うるさい!いつなんとかなるんだよ。今なんとかしてよ。なんとかなるなんて簡単に言うな!」と怒っていたものだ。相手に言ってしまったこともある。
なんで自分ばかりこんな目に遭うのか。やさぐれ過ぎて周りも恨んでしまう精神状態である。
しかし実は”どったんばったん”しながら今日まで「なんとかして」きている。
今よく生きているな、とも思うけどね。
もーだめだ、クビかも、と何度思ったかわからない。当然、失敗するつもりで仕事をするわけないんだけど、失敗しちゃうんだよねえ。
しかしクビにはならずここまで働けていて、さらに、失敗について、当時者以外は当事者程深刻にとらえていないらしい、ということが段々わかってきた。
例えば私の失敗について、周囲は割と
「オカユさんは失敗したけど、取り返しのつかないことではない」
と捉えていることが多い。私自身も同僚の失敗についてそう思うことが多い。
さらにこれは年のせいなのかなんなのか、だんだん図々しくなってきているようで、激しく落ち込むのは数日で済み、半年も経つと、そういえば大失敗したけど何だったっけ?となっている。
これはこれで「それでいいのか?」と思っちゃうけど、それでいいよ。失敗を抱えて思い出して毎日過ごすなんてきついよ。
つまり、
『毎日、起きて食べて働いて風呂入って寝て、起きて食べて働いて風呂入って寝て、を繰り返そう。』
↑私が言うとこうなる。実は「深い」と思っている。
当事者に「なんとかなる」と言ってはいけない
渦中にいる間は、当事者に「なんとかなる」とは言わない。と決めている。
だって当事者はお先真っ暗でなんの算段もできない心境だから。結局、打開するのは自分でしかないじゃん。
その代わり「なんとかなる」は先が見通せた時に使う。
では、大変な人を前にした時、どうしたらいいのか。
なかなか妙案は浮かばない。