断りたいとき、正直に「No」と言えますか?

毎年自分の誕生日が近づくと緊張する。歳をとるから、ということではない。何が恐いって、夫からもらう誕生日プレゼントが恐いのだ

誕生日までひと月を切る頃から、極力誕生日の話題が出ないように心掛け、できれば私の誕生日の事などすっかり忘れていてもらえたらと願いながら戦々恐々とした毎日を過ごす。

夫から「欲しい物は何か」と聞かれたことがない。私が欲しいかどうかは関係ないらしい。そして夫が考えるところの「私が欲しいもの」「私が喜ぶと思うもの」がやってくる。

私はクラシック音楽が好きだ。そのためか、ここ数年はクラシック音楽のCDをプレゼントされる事が多い。
クラシック音楽が好き、までは合っている。
しかし全くクラシック音楽を聞かない夫からもらうCDは、毎回夫も聞いたことのないベートーヴェンかモーツァルトのオーケストラ曲が入ったCDだ。
「クラシック音楽␣おすすめ␣プレゼント」なんて感じで検索して、さわりだけ聞いた位なんだろうな、と想像できる。

そりゃあ小学校の音楽の教室に飾ってある程の大作曲家だ。間違いはない。でも私だってなんでも良いわけではない。好きなジャンルはピアノで、聴きたいピアニストがいて、聴きたい曲、聴きたい作曲家がいる。

自分が知らない曲や音楽をよく人に勧められるものだ。その自信はどこから来るのだろう、と感心すらしてしまう。

結婚当初、夫の母親(姑)の誕生日に贈ったプレゼントについて、姑から「こんな物もらってもねぇ」と言われたことに私はショックを受けた。
一方、いらなければはっきり言うのがこの家族のカルチャーなのだと認識した。
それなら、と夫からもらったプレゼントに対しても、姑と同じように正直に嬉しくないリアクションをしたところ、「せっかく君のために用意したのに喜ばないとは何事だ」と怒られてしまった。

君のためにって言うなら私の欲しいものを用意しなさいよ。私はあなたのお母様からそう教わりましたよ、と言いたくなるが、夫の言い分にも一理ある。

一般的には、好みではないものを人からもらっても、社会通念上お礼を言うべきである。
社交辞令であろうと、職場や友人関係においては時に必要で、わざわざ正直な態度をとって相手の行為を否定するものではない事ぐらい重々承知している。
一方でリクエストを聞ける相手なら、欲しいものを聞くのが相手にとっても自分にとっても嬉しいことなのにな、とも思う。

私はただ、姑の「こんなものもらってもねぇ」の言葉に腹を立てていつまでも根に持ち、夫に仕返しをしただけ。これは反省しなければならない。

この歳になると「欲しい物」を聞かれてもすぐには思い浮かばない。
むしろ物は増やさず減らしたいと思っている位なので、物理的に増えない物=食べたらなくなる物=この世で一番好きなお菓子である「カルビーポテトチップスうすしお味」をもらえるのが最も幸せなのである。

しかし夫は私に欲しいものを聞いてくることもしないし、それならと私から今年の誕生日はポテチにしてください。と言えばそれはそれで「厚かましい」と言われる。
結局のところ「自分が贈りたい物以外は贈りたくない」のだ。どうしてそんなにまでしてプレゼントを贈りたいのだろう。
そんな感じだから、誕生日だけど誕生日ではない、何事もない普通の日であってほしいとなるわけ。

だから、もうあきらめて、へっ?これ?と思っても、失礼にならないようちゃんとお礼を言う。
「えっ…?」なんてリアクションをしようものなら「君のためにせっかく用意したのに」と怒られ感謝することを強要される。
かといって「ありがとう!」と喜ぶ(ふり)をしたらしたらで、来年の誕生日が更に恐くなるため、細心の注意を払わなくてはならない。

何か良い方法はないか。
長年の試行錯誤の末、誕生日に限らずポテチをもらった時は大変嬉しくありがたいと感謝を最大限表現し、欲しくないものをもらった時は平静に普通の「ありがとうございます」とお礼の仕方を差別化してみた。
根気よく続けた結果、戦々恐々としていた今年の誕生日は、見事「カルビーのポテトチップスうすしお味3袋」という結果になった。

ようやくだ。今後も続くことを祈っている。