・突然新入社員の頃の自分を思い出す。
長い文章を書くのは小中高校生の作文以来、と思ってここ1年ブログを書いてきたが、今日「いや、そういえば新入社員の頃書いていたな。会社で。毎日書いてたじゃん」ということを唐突に思い出した。
なんで今頃思い出したのか全くわからないが、ともかく突然思い出したのだった。しかも全く忘れていたことにも驚いた。
そうか。今日、久しぶりに当時住んでいた独身寮があった駅を電車で通過したからか。それで思い出したのか。
・会社で「たった400文字の文章」が書けない。
大学を卒業して入社した会社で配属されたのは人事部だった。営業や広報、宣伝、企画、といった花形な部署には全く向かないとの自覚があったから、人事部か。会社の人って採用までのたった数回の面接でよく見ているなあ、と納得していた。
人材管理、育成、採用なんかを担当するのかな、と漠然と思いながら配属された日、担当と言われた仕事は思ってもみなかった「社内報編集」だった。
課長曰く「会社全体のことが一番手っ取り早く勉強できるから」。
人事部に社内報担当があることも初めて知ったが、文章を書くなんてやったことないし、むしろ大の苦手。国語の成績が一番芳しくなかった私が社内報担当。
露ほども思っていなかった仕事をすることになり、途方にくれた。
ともかく、記事と文章に定評があるベテラン上司(編集長)についた。社内報は編集長と何もできない私のたった二人で作る。
「ホントに私、なんにもできません、ホントに申し訳ありません」な毎日だった。
できることは”電話取り、取材のテープ起こし”しかない状態だ。
編集長にしてみれば、編集のイロハも知らない文章を書くのが苦手な私に、私以上に戸惑ったはず。
それでも私をあちこちへと取材に連れていき、編集に関する業務を丁寧に指導してくれた。
インタビューでは、社長から現場で頑張るおじちゃん達まで、話を聞きまくる日々。課長の狙い通り「会社について、会社を支える人々について」広く学ぶ時間だった。
担当して数ヶ月後、初めて編集後記を書くことになったのだが、何をどうやって書くのか見当もつかない。
編集長の書く編集後記は、業務に関することから季節や時事の話題まで、話題も幅広く”エッセイ”の様な感じで、全国にいる社員にも人気でファンが多い。
プレッシャーだけ感じて編集長の文章を見よう見まねで書いたところ、課長に呼び出され
「編集長と文体が同じ、内容も。これじゃただの真似。つまらない」
と酷評されてしまった。私の仕事への姿勢が見透かされてしまったというか。
だって私、そもそもが文章を書く人ではないもん。むしろ苦手なのに。とその時心底思ったが、
そうじゃなくて仕事ですから。学生じゃないんだしお給料もらっているわけだから、そこに私の「できるできない」「やるやらない」という感情を挟む余地も必要もない。
なのだよ。
自覚もなく上司の後に付いて歩くだけで意見も主張もオリジナリティもなく、努力もしていない。
そういう仕事の姿勢、苦手意識、嫌々意識が丸見えだったのだろう。
入社したのはいいけど、君はどういうスタンスで今後仕事をしていくわけ?と
「たった400文字の文章」が書けない私に突きつけられた、課長の厳しい言葉でございました。
・記念に1年前のブログをリンクに貼ろうと思ったが、あまりに恥ずかしかったのでやめる。
それから30年以上たって、嫌だ苦手だと言っていた文章を再び書いている。
遠くに暮らす娘に
「ボケ防止と健康観察と安否確認ためにブログ書きなさい」
とパソコンをわたされて1年経った。
ネタが思い浮かばなくても、忙しくても、仕事で嫌なことがあっても、
「仕事は辞めてもいいけど、ブログはやめちゃだめ」という謎の指令が出ているのであきらめるわけにいかない。
パソコンも買ってもらっちゃったし。
初期の頃の自分のブログを見返してみたが、文章も、必死で作った画像も、表とか囲みとか文字とか色とか、なにもかも痛々しい。稚拙。見るんじゃなかった。
1周年なので記念に最初の記事をリンクに貼ってみようか、とも思ったが、あまりに恥ずかしいのでやめることにした。
いろんな余計なものを削ぎ落したシンプルで洗練された記事。とはいかないだろうが、もう少しマシな文章にならんかのぉ。