・周囲で耳にする積極的な生き方を推奨するあまたの言葉。
少子化だから女性の働きやすい環境を整えて子供を産んでもらおう
子育てする世帯を援助してもっと子供を増やそう
積極的に育児休暇を取得しよう
経済の成長が大事
お給料をあげるために消費をしよう
就職活動のために色々な活動やボランティアをして、積極的であることをアピールしよう
次世代のリーダーを目指そう
リスキリングしよう
転職して収入を増やそう
起業しよう
夢を持とう
目標を持とう
前向きに、積極的に、次へ次へ、もっと上に上に
平等な社会を実現しよう
投資をして資産を自分で増やそう
高齢者になっても働こう
ネットで知りたい情報をいち早く手にいれよう
経済成長しながら持続可能な社会を目指そう
ライトアップして日本を明るく照らそう
子供のお弁当はデコ弁を作ってお弁当を楽しくしよう
品数の多い美味しいお弁当を作ろう
環境保護のために資源を大切にしよう
IT化を推進して便利な世の中にしよう
いつでもいつでも「恩返し」のために努力しよう
・経済成長しないと私達は幸せになれないのか。
夢と目的を作り、そのために一生懸命勉強して、頑張って働いて結婚して子供を産んで立派に育てて、同時にもっと働いて日本を成長させてちょうだい。
そして家のこともちゃんとやってね(特に女性)。さらに投資をして老後の資産は自分で確保してね。
それからもちろん、未来の地球環境のために努力もしてね。
疲れるよねえ。
国、社会、教育機関、あらゆるメディアにいつも積極的で前向きであることを求められてるように思えてどーもいかん。
経済も教育も少子化も環境も「もっともっと頑張れ」と言ってばかりいる気がして、最近そんな言葉を聞くとげんなりするようになってきてしまった。
ITも進化して、なんでもAIが考えてくれて、車は自動運転になり、医療も各段に進歩した。
一方、心を病む人間が増え、未知のウイルスにおびえ、働いても働いても豊かになる人は一部で、
黒か白、YesかNo、正しいか悪いか、結論が二極化して、グレーな部分がない不寛容な世界になってきていると思うんだけどな。
・自分のために、ではないのだろうか。
目的を持つこと、夢を持つことを、やりがいを持つこと、豊かになること自体は素晴らしいことではあるが、国民のためではなく経済成長のための要求のように感じてしまう。
まあ、国民の豊かな生活=経済成長とすればその通りなんだろうけど。
みんなは疲れないのかしら。
ゆっくり生活してはダメなのかねえ。
自分はこれからは自らを省エネ化して、経済成長しなくても幸せに生きていく方法を探ろうと思っている。
とまあ、疲れて後ろ向きになっている時の私の頭の中でした。