物を持たない暮らしをする理由

物理的な「物」はいつかなくなるし、記憶も永遠ではない

2019年秋の豪雨災害で祖父母の家(父の生家)は水に沈み、子供の頃に遊んだ懐かしい家も畑も庭もお墓も水に沈み流された。
従兄弟達と走り回った広い畳の居間は私の記憶の中だけだ。
残ったのは過ごした頃の体験、景色や人との思い出だけになった。

過ごした頃の景色や思い出は自分の記憶には残るが、物理的な「物」はいつかなくなる。
例えば遺産相続の過程で家や土地をうることもあるだろうし、遺品整理といった形もそうだ。

歴史にでも名を残さない限り、私達の生きてきた証しなんて、数万年後、「遺跡」として掘り起こされればラッキーな方だ。まずないだろうけど。

死後、自分を直接知る人がいる年月もまず100年は続かない。歴史に名を残すほどなら別だが、56年生きてきて、そういうこともなさそうだしな。
それなら始めから物を持たなくてもね。結局大方処分することになっていくのなら。

お葬式はなし。戒名とお墓は持たない

元々このように考える傾向だったので、亡くなった後に物理的な自分の痕跡はできるだけ残さないようにしておこうと考えている。だから物も戒名もお墓もいらない。
亡くなったら直葬して、故郷長野の善光寺で合同納骨してもらう予定。
私を知っている人達の思い出の中に迷惑にならない程度に存在していられたらそれが1番。

お葬式というイベントはいらないよ、と子供達には伝えてあるが、優しい子供達は「でもお母さん、お葬式は残された人たちのためのものでもあるのよ」と言う。それもそうか。

まあそれは亡くなった後のことなのでお任せかな。
遺言としては「いらなーい」と明るく伝えてある。

このような理由で「自分の物は少なく、厳選した暮らし」を送りたい

だから余計に自分が持つもの、買うものは厳選する。1つしかないけど超お気に入り、という物だけに囲まれて暮らしたい。
加えて「あると便利な物は持たない。ないと困るもので生活する」ということをすると多少不便でも持ち物は少なくてすむ。

ミニマリストが目指すのは、『自分が暮らす上で心地よいと思う必要な物を厳選し、本当に大切な物に囲まれて、心豊かに暮らす』ということだから、となると私の行動もミニマリストや断捨離する人と一見同じだ。

しかし私の場合、「死後は自分の物をできるだけ残さない」という状態を目指しているため、今から持ち物は少なくしておこうとする考え方だ。遺品整理も楽だろうし。
この考え方に何か名前はあるのだろうか。なにか良い名前をつけてみたいところだ。