👆日光東照宮の参道で撮影
・タフな母。ばあばちゃんについて。
ばあばちゃん(私の母)は私の弟家族と同居し、
畑仕事と樹脂粘土を使った造花製作(クレイフラワーと言うらしい)に精を出す
御年80歳である。
私は大学進学の時に東京に出て、そのまま就職、結婚、子育てと、
好き放題生きてきていて、母の面倒は100%弟夫婦にお任せな状態。
同居している弟夫婦と甥っ子に心から感謝だ。
同居の難しさは言うまでもない。
私の周りも世間も嫁姑の確執だらけ。
色々とあるだろうが、
私には全くない寛容さをもつ素晴らしい弟の奥さんと、
絶妙な塩梅で同居生活を送っている。
私には到底できないな。あ、同居のことね。
ちなみに私は始めから「できまへん」て夫と夫の家族には言ってある。
母は、嫌なことや大変なことは「白黒つけず、グレーで」と言いながら、
じょうずに色々なことに折り合いをつけ、
賑やかで、友達がたくさんいて、忙しい日々を過ごしているようだ。
それでも母との日々は確実に短くなっていることは確かで、
今から言うか?遠くに暮らすことを選んだ自分が何を今頃後悔してんのよ。
と思うばかりなのだが、
それでも少しでも、ちょっとの後悔を少しだけでも埋め合わせしようと
2か月に一度位は、日帰りで顔を見に行ったり、
元気なうちは一緒に旅行をしたりを
始めているところである。
これもまた好き放題やってきた私の自分勝手な都合、
自己満足に過ぎないんだけどさ。
それで、今回の日光旅行となった。
・「華厳の滝」見たことない。というばあばちゃんのリクエスト。
80歳、といっても長年の畑仕事で鍛え方が違う。
あそこが痛いここが痛いと言いながも、
旅先では私より元気に動くんだよね。
この前会った時よりまた小さくなったなあ。
なんて感傷に浸ってる間もなく、
はい次、はい行くよ!急いで!
と元気で元気でどんどん歩いていく。
今回のメインはまだ見たことがないという『華厳の滝』鑑賞。
紅葉の季節でしょ、どんだけ混雑する?、いろは坂を上るのに何時間かかるか?
なんて心配も
ばあばちゃんのためなら道を空けましょ。
と、奇跡的に渋滞に会うことなくいろは坂を上ることができた。
しかも、実は旅館へ行くために駅前で運良く捕まえたタクシーをそのまま貸し切り、
3時間半の観光タクシーとして、
たっぷりと中禅寺湖と華厳の滝を満喫することができちゃったのだった。
とても親切なタクシーの運転手さんで、
「連れていきたい所はね」とたくさん案内してくれて、
華厳の滝だけのつもりが
中禅寺湖、英国大使館別荘、イタリア大使館別荘、竜頭の滝、戦場ヶ原と、
中禅寺湖フルコース堪能と相成った。
私も娘も知らない人との会話の継続は苦手分野なので、
運転手さんとの会話はばあばちゃんにお任せ。
ツアー中、ずーっと二人で盛り上がっていて、
ばあばちゃんのコミュニケーション力の高さにも恐れ入った次第だ。
行き当たりばったりだったけど楽しいツアーになった。
脊柱管狭窄症で腰が痛い、膝が痛いと言いながらも、
私から見ればゆっくりとはいえ「ガンガン」歩き、
孫の手を借りながらも
翌日は日光東照宮の階段を登り下り(階段はさすがに辛そうだった)し、
徳川家康公も
あっぱれじゃ。
と言ってくれているに違いない。
宿では着いたとたんにスーツケースから奈良漬けとりんごを取り出し、
ちゃんと包丁と楊子も持参し、
机に並べて私達に振る舞う。さながら昭和の旅行。
傍らで私は疲れてぐったり。
どっちが年老いているのか時々わからなくなる。
こんな旅ができるだけ長い時間続くことを願いながら、
私はヨタヨタばあばちゃんのあとをついていく旅行であった。
・そして、いつもながらパーフェクトな孫のアテンド。
ばあばちゃんとの旅行には、社会人の私の娘と息子、母からしたら孫達が、
スケジュールの許す限り同行してくれる。
良い孫達だよねえ。
今回は娘が同行し、宿も手配してくれた。
80歳のばあばちゃんと、55歳なのに体力が80歳よりない私のために、
彼女はクルクルとよく動き回る。
宿に着くと、膝の痛いばあばちゃんのために椅子を用意し、
荷物を運び、転ばないように動線を確保。
食事の時はご飯をおひつからよそい、お茶を入れ、
温泉では傍らに寄り添い、
夜は足裏マッサージを施していた。
そのお陰でばあばちゃんの足は疲れ知らず。
華厳の滝も東照宮の階段も、
転ばないようにそっと服の端を握って支えていた。
なんて良い孫なんだろう。
一体誰がこんなに素晴らしい娘を育てたのだろう。ワッハッハ。
私の時もよろしくね。
そして次の旅行は来年の春、奈良に決定。
ばあばちゃんは『娘♡の頃』の修学旅行以来なんだって。
孫達のアレンジとアテンドにも期待。