日本でスタンディングオベーションが起きない理由。

🎹日本人にとって「スタンディングオベーション」は難しい行動。

海外では、演奏者を総立ちのスタンディングオベーションでたたえる映像を頻繁に目にするのだが、日本のコンサートではなかなかお目にかからない。
「両腕を高く上げて大きな拍手」を送る聴衆はたくさんいるのだが、スタンディングオベーションは一握りだ。いたとして、パラパラと立ち上がって拍手を送る光景がほとんどだ。
日本人にとって「スタンディングオベーション」は難しいのだろうか。
理由は?奥ゆかしいから?恥ずかしいから? 

私の場合、「ヒァ〜。感動した~」と思わず立ち上がって拍手を送ることも多いのだが、大抵「あれ?あれ?私だけ?」となる。会場を見渡してもずいぶんと離れたところでパラパラと立っているのを見るくらい。

演奏者に自分ができる精一杯の賛辞を送る傍らで「う〜ちょっと恥ずかしいかも」という感情がどうしても湧いてしまって拍手に注力しきれていないよろしくない気持ちになる。
「自分が賞賛したいのだから」で良いと思うんだけどね、いざ立ち上がると「えっ・・・」という情けない感情も起きてしまう。

🎹反田恭平ピアノリサイタル2023。立つべきか立たぬべきか。

7月17日は、愛知県芸術劇場での「反田恭平 ピアノリサイタル2023」に行き、スクリャービン、ラフマニノフ、ショパンの曲をたっぷりと聴いてきた。
もちろん私にとっては「スタンディングオベーションしたい」級の演奏だったのだが、今さらだが初めて気が付いたことがある。

スタンディングオベーションを前の座席の人達がすると、立ち上がらない後ろの人達はステージにいる反田さんを見ることができない。


スタンディングオベーションを送る人達の背中しか見えない。せっかく称賛の拍手を送っているのに、拍手をする相手の姿が見えないなんて。

今回、荷物を持って立ち上がる準備をしていてちょっと出遅れてしまった。
立っている人達に隠れて反田さんが「あ~見えない見えない早く立たないと」と焦っていた自分は、いざ自分が立とうとした瞬間に「これ、私が立ち上がったら後ろの人達がステージを見ることができないのか」
ということに突如、人生で初めて気が付いた。

そうなのか。それならと今回は座ったままでいたところ、ステージ上で反田さんがなにかジェスチャーをしていたようなのだが、全く見えない。
見えている人達から笑いが出たので「反田さんが何かしている」と想像するしかなかった。
今まで私が興奮して立ち上がってわあわあと拍手していた時、後ろの人は「ちょっと💢、見えないんだけど」ってなっていたのか。
だったら後ろの人達も立ち上がればいいじゃん。それだけのこと。
なのか?

🎹立ち上がる「勇気」ある?

じゃあ周りの人の事を考えて「私は立ちません」とする?それが日本人らしさ?美徳?
いやいやそれは建前だなあ、と正直思う。
結局「立つのが恥ずかしい」が一番上に来るんじゃないか。
だって自分がスタンディングオベーションしようと思った時は、

よし、「勇気」をもって周りの人が立ち上がらないだろうがなんだろうが立ち上がるぞ。

と思って立つもんね。
わざわざ「勇気を出しているのよ。私も「恥ずかしい」と思っているわけだ。
奥ゆかしいとか美徳とかではなく「周囲と違う事をする」ことに我々日本人はどうしても羞恥心を抱くということなんじゃない?

良い悪いはともかく、私はこれまで会場全員総立ちのスタンディングオベーションを2回だけ経験している。
感動的な時間だったことは確かだ。