飽食の現代。こんなに食べなくても生きていけるはずなのに。

タコスを作りながら、昭和の質素な食生活を思い出す

タコスが好きで、ちょくちょくタコスキットを買ってきては作って食べている。
スパイスの調合なんてできるわけないので、混ぜればタコスミートのでき上り、という簡単タコシーズニングを使うのだが、作るときには大量に作って何回分かに分けて冷凍しておく。

休日の今日は、昼間から大量に鶏ひき肉を炒めて、ついでに豆も加えて3日分くらいのタコスミートを作った。これをトルティーヤで巻いたり、タコライスにしたり、パンにのせて食べる。(本来は牛肉を使うそうだが、私は鶏肉が気に入っている)
楽しみ。

行ったこともない国の料理を自宅で食べられるなんて、便利で手軽な世の中になったものだ。贅沢だな。なんて思いながら鶏肉を炒めてメキシコ?に浸っていたら、ふと昭和の食生活を思い出した。

1970年代、昭和40〜50年代。私が子供だった頃。
食事はもっぱら和食で、醤油か塩かで味付けしたものが基本。時々食べる外国料理?はカレーかスパゲティナポリタン。
タコスなんて料理は聞いたことも見たこともなかった。

コンビニが現れる前の時代だ。たまに母が近所の農協(スーパー)から買ってくるポテトチップスやカールは弟と半分こ。最後の1枚をどっちが食べるか毎回けんかになっていたが、間違っても1人で1袋なんて食べてはいけない。あとでどんな目に遭うか。

炭酸ジュースはお盆に「だけ」飲むもので、毎年親戚から届くお中元の「瓶に入った三ツ矢サイダー1ケース」が夏休み最大の楽しみだった。

父が半年に1度連れてってくれる洋食レストランで「チーズハンバーグステーキ」を食べるのが外食の全て。
とろけたチーズなんて日本でこのレストランでしか食べられないと本気で思っていたし、父は「テーブルマナーだ」とか言ってライスをフォークの背にのせて頂くという難しい技を私と弟に自慢気にやって見せ、私達はそれを一生懸命真似をする。

でもさ、これでなんの不満もなかったんだよね。食べたくなったからとポテチやジュースやアイスを買いに行くという発想もなかった。
コンビニもファミレスもマックもない。おやつだって、季節のぶどうやリンゴ、おせんべいやおまんじゅう、母手作りの寒天ゼリー、1980年代前後になって母がケーキやパンを焼くようになったが、自分の好きなお菓子を買うのはお祭りとお正月だけ。

なければないで、不満だとも思わず、我慢だとも思わなかった。タコスにしても、そもそも存在すら知らなかったのだから、その発想すらない。

今は世界中の料理が身近にあふれていて、それも食べたいと思ったらいつでも食べられて、だから出費が増えて、お金が必要になって、もっと働かなくてはならなくなって。

私達は豊かになった。食べたいものを我慢することなく食べることができる。家になければいつでも買いに行ける。

でも、思い出した昭和の暮らしが貧乏だったわけではない。あれはあれで満足で幸せな時間だったはず。
あるもので暮らし、目の前にない物を欲しがることもない。
そうやって暮らせば食費がずいぶん浮くのになあ、体重や生活習慣病を気にすることもないのに。なんて思いながら目の前のメキシカンを頬張る。
一度知ってしまった味や欲をなかったこともできないしな。

小学生の私がタコスを見たらどんな反応をしたのだろう。食べられたかな。塩味かお醤油味しか知らない私は「おいしい」って思っただろうか。