50代からのお茶の入れ方。茶葉はやめて、ティーバッグのお茶を飲もう。

・「茶葉から入れるお茶が最も美味しい」という気持ちになっていたのは、結局「茶葉を使って手間暇かける」という行為に対してだっただけ

家にはティーバッグの緑茶、ほうじ茶、紅茶が並んでいる。

お茶は茶葉から手間暇をかけてこそ美味しいと疑わず、長年茶葉を買い(それも割と高めの茶葉)、美味しいと言われる温度にこだわり、急須やポットでお茶を入れてきた。
ティーバッグでいれたお茶なんて安っぽくて、という偉そうな気持ちで過ごしてきたが、ここ数年で180度の方向転換だ。家から茶葉が姿を消した。
ティーバッグで十分美味しい。

今思えば、美味しい気持ちになっていたのは「お高い茶葉を使って手間暇をかけた」という行為に対してだ。
お湯の温度にこだわり、有名な産地の茶葉を計量して丁寧に時間を計り、あらかじめ温めたカップや茶碗に注ぐ。こだわっている自分に満足する。

ところが、軟水のせいなのか、お湯の温度だからか、蒸らす時間なのか、実はおいしい味を作り出すのは難しい。
紅茶色なのに味が白湯になってしまっても、蒸らす時間を守ったらとんでもなく渋い味になったとしても、これが美味しいということよ。高い茶葉でこれだけ手間をかけたのだから、となっていたわけだ。

後片付けも億劫だ。
ティーポットや茶こしに残った茶葉を取り出して洗わないといけないし、茶渋がついたティーポットや急須は時々漂白が必要。
せっかく高貴(?)なティータイムを楽しんだのに片付けか。と飲んだ後のことを考えると飲むのが面倒にもなってきた。

考えてみれば、企業は努力しているし、テクノロジーは進化していて品質は各段に上がっていて当然なのに、お茶のティーバッグは美味しくない、と私が思うのも変な話だ。不要なプライドと、がちがちの固定観念に囚われていたということね。

改めて飲んでみれば、ティーバッグのお茶は、私が頑張って入れた薄かったり渋かったりするお茶よりよっぽど美味しい。それに入れるのも片付けも簡単だ。

「美味しさ」とは、”どうやって入れたか”ではなく”どんな気持ちで飲むか”ということ

子供達の家で飲んだティーバッグの緑茶、友達の家で飲んだティーバッグの紅茶。
最近はホテルや旅館でも、人件費削減や衛生面等の事情もあるだろう、ティーバッグやスティックの緑茶やほうじ茶をテーブルに置き、「ご自由にどうぞ」という所が増えている。
どれもとても美味しかった。

結局「美味しさ」って
「どうやって入れたか」よりも、楽しいとか、リラックスしている、といった気持ちや、どこで、一人で、誰かと、という自分や周囲の環境や雰囲気等が合わさって感じるものだと思わない?