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外国人観光客ばかりが行っているように強調し報道するメディアに違和感を感じる
コロナ渦で海外からの観光客が来なくなり観光業界は大きな打撃を受けたが、今年はようやくコロナ前の水準に戻りつつあり、観光地に賑わいが戻ってきた。
ところが今度は外国人観光客によるゴミのポイ捨てや迷惑行為に観光地が悩む状況を多くのメディアが報道している。
「外国人観光客=迷惑行為を行う」構図が一般化し、あたかも外国人観光客だけが迷惑行為を行っていると非難する報道は不公平だ。
最近の報道って、国民の思考を扇動しているようにも感じる。
外国人観光客が来なくて困り、たくさん来て困り、日本は社会問題を作り出すのが好きなんだなあ。
人間なんて勝手なもんだ。
外国人が日本を旅行する(インバウンド)需要は観光業界や飲食店の景気を復活させ、さらに日本経済全体への波及効果も大きいはずだ。
その反面、観光客が増えすぎることによる混雑、交通渋滞、ゴミのポイ捨て増加、自然破壊等の問題(オーバーツーリズム)に頭を悩ませる。
日本人のマナーの悪さも同じ割合で起きているはず
もちろん大抵の国民は「ゴミはゴミ箱に」とか「人の迷惑になることはしない」とわかっている。
でも一定程度、わかっていないというか「そんなのどうでもいい」人達がいる。
人間ってそうだと思う。
思うに、人間という生物において、良い事も悪い事もどんな行為もある程度の割合で発生してしまい、「0」にはできない。
その割合を来日する観光客に当てはめたら、観光客が増えれば増えるだけそれなりの人数になる。
だから目立つのだろうけど、メディアの取り上げ方が、きれいな日本を汚すのは「マナーの悪い外国人観光客」と強調しているように見える。
ゴミのぽい捨ても、線路や民家に勝手に入り写真を撮りまくるのも、外国人観光客だけではない。
例えば私の通勤途中の道には約200メートルにわたる「ゴミロード」(と私は呼んでいる)がある。
ペットボトルや空き缶、食べ物の容器、お菓子の空袋、箸やスプーンやティッシュなどが入ったスーパーやコンビニ等の袋が袋ごと捨てられている。
最初は袋のまま転がっていて、数日もすると袋はカラスに破かれ、風で飛び、車に踏まれて散らばり、道路の両脇に袋の中身が散乱する。
風で舞い上がった袋やゴミが両わきの街路樹の枝に引っ掛かっている。
幹線道路の信号機の脇も同じだ。信号待ちの間に捨てるのであろう、空き缶、ペットボトル、お菓子の袋、タバコの吸殻。
もちろん観光地ではない。
これさ、日本人または日本に住む人がやっていることだよ。
コンビニで買ったであろうおにぎりのラップをはがして、そのままラップを手から放す。放すと自動的に歩道に落ちる。
デパートで直前に買ったであろう商品を歩きながら包装から取り出し、包装ビニールをそのまま手から放す。
デパートの床にビニールが落ちていく。
こんな光景を何度か見たことがある。
掃除する人がいるからきれいな日本(今も?)が保たれているに過ぎない
例えばディズニーリゾートが常にきれいなのは「カストーディアルキャスト」と呼ばれる清掃担当スタッフが常に清掃を行っているから。
公園や公共施設の公衆トイレは定期的に清掃が行われている。
ハロウィン明けの渋谷の街をボランティアで掃除をする人もいる。
私が思うに、日本は清掃に携わる人達がきれいな日本を作ってくれていると思うの。
お掃除をしっかりやる業界と担う人達がいるからきれいなのだ。
1964年に開催された東京オリンピック以前の日本は、ゴミ収集が進まず、路上には紙くずや家庭ごみ、汚物までが放置され、生ごみが異臭を放っていたそうだ。
高度経済成長の陰で川も空気も汚れていた。
オリンピック開催を前に「先進国の仲間入り」をするため、公衆道徳を社会教育として強力に推進し、「清潔な街」を国民総出で作っていった経緯がある。
出典:日本財団ジャーナル【オリ・パラ今昔ものがたり】東京は「臭いまち」だった(2020年11月30日)
(参照2023年9月2日)
その「公衆道徳」感覚がかろうじてここまで続いていることで、海外からも「清潔な国」と称賛されているんだよね。
でも、ここ最近はおざなりになり始めている実感がある。それにやっぱり「外国人観光客」に偏った報道が気になるなぁ。